2005年7月16日 土曜日

長浜忠夫の果たした役割 はてなブックマーク

[分野: 演出|富野由悠季| 演出] 文:bono (投稿日:2005-07-16)

今、密かな長浜忠夫監督ブームです。当初、僕の持っていたイメージは、次の鈴木敏夫氏の言葉に近い。
ほぼ日刊イトイ新聞:ジブリの仕事のやりかた。:第3回

鈴木敏夫「『巨人の星』を作った長浜忠夫さんという人は「監督」として何をやったのかというと、絵コンテは人に描かせるし、絵の部分はぜんぶ人に任せていました。何に力を入れたのかと言うと、シナリオと、できあがったものに声を入れるときだけなんです。」

ニュアンスでリードする、アニメの監督としては割と大雑把なタイプを想像していました。人形劇出身という出自への偏見もあります。ところが、調べていくうち、かなり印象が違ってきた。

次の引用は、富野由悠季著『だから僕は…』から、長浜監督に関する回想。
<『巨人の星』制作時>

コンテの直しも良く言えば細かくて、ドラマトルギー(ドラマツルギーとは違う)的手直しと、イマジナリィ・ラインを口にされて、演出手法の根本セオリーを指摘してきた。僕は学生時代にイマジナリィ・ラインの概念を承知していたが、虫プロ時代に一語も聞かされなかった単語で、これを野球のダイヤモンド上にいかに設定して画面を創るかを追求された方なのだ。

<『超電磁ロボ コン・バトラーV』制作時>

当てつけていると思った。今まで、口パクがひとつ合わないからリテークしろと言った総監督などはいなかったのに、それをやれと強要してきたからだ。(略)。しかし、(略)何度かそれをやっていくうちに、科白合わせ(リップ・シンクロ)は気分を伝える演出として採用すべきものだ、と分かりはじめていた。

映像・絵に対する意識・こだわりというのは、(当たり前かも知れませんが)あったんですね。
イマジナリィ・ラインは映像演出の基本理論です。これを外れては、登場人物達の位置関係は正しく伝わらない。入り組んだ劇には不可欠です。また、セリフと口の動きをシンクロさせるなんてのも、現在の眼から見れば当然行われるべきことに思えます。でも、古いアニメって、確かに口パクが適当なんですね。登場人物が言葉を発していない時でも、平気でパクパクしている。そんな状態でシリアスなドラマなど表現出来様はずも無い。この2つだけ見ると、後の「複雑な物語を持つ、日本特有のTVアニメ」が成立する前提を準備したように感じます。

山崎敬之『テレビアニメ魂』

『巨人の星』だけではない、『怪物くん』や、のちには『新・オバケのQ太郎』にまで、監督は「ドラマ」を強引に持ち込もうとした。しかし、当時、アニメにそんなものが必要だなどとは誰も考えていなかった。そこにライターたちとのギャップがあったのである。

こうしたドラマへのこだわりが、表現の環境を整備した。長浜演出というのは、そのドラマ性の強さ(押し付けがましさ)によって、古びてしまい、その「古臭い」という印象だけが後世に残ってしまいました。しかし、そこへ至る過程で果たした役割というのは、存外大きかったんじゃないでしょうか。

この記事のURL:http://xn--owt429bnip.net/2005/07/nagahama_yakuwari.php

コメント (このコメント欄の RSS フィード

  1. 長浜さんはコアなアニメファン以外にはあまりしられていませんね
    ロボアニメファンですら知らなかったり

    彼が日本のアニメーションに与えた影響は物凄く大きいのにも関わらず、評価が不当ですよね、悲しい限りです

    コメント by なじか — 2009年7月10日 金曜日 @ 17:27

  2. 過去の雑誌など読むと、かつては正当に評価されていたようですが、確かに、現在では徐々に忘れられつつある人物ですね。

    アニメ文化が、アニメファン以外にも広く評価されるようになった今こそ、再評価が必要な人物だと思います。

    「国立メディア芸術総合センター」のような施設が出来るのであれば、常設展示で扱って、その足跡を後世に残して欲しいです。

    コメント by bono — 2009年7月10日 金曜日 @ 17:49

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