2006年1月30日 月曜日

『嫌オタク流』の感想 はてなブックマーク

[分野: オタク時事] 文:bono (投稿日:2006-01-30)
嫌オタク流 嫌オタク流
中原 昌也 高橋 ヨシキ 海猫沢 めろん 更科修一郎
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ある種のオタク文化を叩く場合、必ず発生する問題がある。
1)オタクがオタクを叩くと、「世代間闘争」に取られてしまう(批判不成立)。
2)非オタクがオタクを叩くと、全くの見当外れになってしまう(批判不成立)。

この本のスタンス(オタクが解説して、非オタクが叩く)は、上手いことこの2つをクリアしていて、論点がずれない。賢い造りの本だと感じた。

僕が興味を持った切っ掛けは、目次にある「下流社会の娯楽としてのアニメ」の一項目。以前に書いた「下流社会にあてがわれるオタク趣味」が、流れ流れて記事になったのだとしたら、何か凄いなぁと。庶民的な気持ちで。読んでみたら、全然関係無かったです(笑)。なんだよ!

自分の感覚では、「下流社会」はオタク趣味全般に当てはまる問題。ところが、この話題をアニメに限定する人が何人もいる。これはこれで、面白い現象だと思った。

Comic 新現実 Vol.3 更科修一郎氏が、オタクを語る概念として「全能感」という言葉を使っていた。『コミック新現実』Vol.3での榎戸洋司インタビューの影響ですよね。(『トップをねらえ2!』の映像特典でも語られてましたね)。きちんと論が最先端を行っていて、ワクワクしました。萌えに関する分析も、こんなに完璧な説明は初めて見た。やっぱり凄い人だ。

最後に、些末な突っ込みを一つ。海猫沢氏が「カスタム奴隷」とか言ってるけど、正しくは『カスタム隷奴』。この本に限らず、一般書籍におけるエロゲー関係の文章って、凄く適当に感じる。

2006年1月25日 水曜日

自分にとって重要なことは はてなブックマーク

[分野: 未分類] 文:bono (投稿日:2006-01-25)

大事なことを書き忘れていた(笑)。ここからは、少し話がややこしくなります。

前の記事(「自分にとって何が新しかったのか」)で、「作画が分からないこと」を自分の問題として語り、「劣等感」の存在を述べました。でも、だからといって、僕は別に作画マニアになりたい訳ではないのです。「誰が描いたのか」は、作品を観る上ではさして重要ではない(作画担当者を評価する上では重要だけど)。担当者捜しの答えには、自力でたどり着けなくても構わないと思う。
では、何故「自分の問題」と感じるのか?

作画のファンは、「画面の微細なニュアンス」や「演技のつけ方の差異」に非常に敏感です。敏感だからこそ、「ここはきっと○○さんではないか」と論を展開できる。
では、これを裏返して考えてみよう。すると、作画を見分けられない僕は「画面の微細なニュアンス」や「演技のつけ方の差異」に非常に鈍感だ、ということになる。作画ファンが反応する「ある種の情報」を、確実に見落としているのです。

僕は、演出に対する興味でアニメを観ます。演出主導の作品を観る場合でも(いや、だからこそ?)、作画問題と無縁ではありません。微妙な「演技」や「ニュアンス」の違いが読み取れない状態で、本当にその場面を理解できているのだろうか、と思ってしまうのです。作画に関する解説を読むことで、始めて「そこで何が行われていたのか」を知ることがあります。往々にして、細かい部分を読み取れなくても物語の筋は追えるし、作品を楽しむことも出来る。でも、それでは「観ている」ことにはならないのではないか?と。
つまり、「作画を分かること」が「演出や物語を深く理解すること」に通じるであろう、という想いから、作画が分かりたい。しかし分からない。劣等感。そういうことです。

作画を探求するファンにとって、「作画が分かること」は手段であり目的でもある(多分)。僕にとっては、手段ではあるが、目的ではない。

2006年1月22日 日曜日

GDH、もう一人のトップ はてなブックマーク

[分野: アニメスタジオ] 文:bono (投稿日:2006-01-22)

『SPA!』(’06年01月17日号)の記事「社長の腹/宇宙物理を究めた異色若手社長が導く勝利の方程式とは?」で、GDH社長 石川真一郎氏のインタビューが掲載されていた。ちなみに、GDHはゴンゾとディジメーションが合併してできた会社で、石川氏は、元ディジメーション側のトップ。

僕的には、ゴンゾといえばガイナックス出身の村濱社長のイメージが強い。石川氏に関しては、写真も言葉も初めて見た。あまりGDHに興味が無いというのも一因だろうけど…。

GDH:会社情報:経営陣
公式サイトでも見られるけど、経歴が凄い。東大で宇宙物理を学び、コンサルタントとして活躍後、アニメ業界へ。アニメはもとより、映像分野と全く接点がない(笑)。微妙な作品を連発するゴンゾが、それでも規模を拡大していく様子が不思議で仕方なかったのだけど、謎を解く鍵はこの辺にあったのかな?他の制作会社のような、現場上がりのトップではないと。企業として、次々と新しい手を繰り出してこられたのも、ちょっと納得。

麻布中学校・高等学校 – Wikipedia
中・高もエリート校ということで、ビジネスを展開する上での人脈も広そうな感じですね。

2006年1月21日 土曜日

自分にとって何が新しかったのか はてなブックマーク

[分野: 未分類] 文:bono (投稿日:2006-01-21)

先日書いた「階層化するアニメファン」に対し、幾つかの反応があった。その殆どが「作画マニアなんて昔から居たよ」という意味合いの一言コメント。「そんなことが言いたいんじゃないんだよ!」とイライラした想いを抱えつつ、mixiで色々な人と対話しているうちに、少し考えが進みました。前より核心に近づけたと思います。

工場に例えてみよう。工場(=作画ファンの存在)と製品(=作画ファンの書いた雑誌記事・同人誌)は昔からあった。製造工程は分からないが、製品を手にシャッターの下りた工場を外から眺め、「きっと自分には手が届かない設備が整っているのだろう」と考える。「プロだから…」とか、「業界とのパイプがあるから…」「レアな資料が手に入る環境にあるから…」という想像ですね。

ところがネット時代になって、工場の中身(=作画の検証プロセス)が公開された。作画ファンの日記を読めば、毎日リアルタイムに検証が進んでいく。「この場面は○○さんではないか?」。それが必ずしも「自分には手が届かない設備」ではないことが分かってしまった。環境においては自分と大差がない。同列である。しかし…。ここで始めて「劣等感」という感情が湧いてくる訳です。(「環境において同列である」ということにまだ気づいていない人は幸福です。)
脳内の作画データベースを駆使する「目利き」の技術は勿論、検証の進む「速度」が訴えかけるインパクトも強烈だった。確かに、作画マニアは昔から居た。でも、この種の衝撃が大規模に波及したのは、ネット時代特有の現象ではないかと思います。

工場で働いている人、工場の近所に住んでいる人は「昔からこうだよ?」と思う。いや、そんなことすら思わないだろう。変わったという認識がないのだから。
でも、それ以外の大多数にとっては大きな変化。中でも、それを自分の問題として捉える人にとっては、大変な衝撃である訳です。
今になって、同時多発的に作画問題で悩む人が現れた(ように僕には見える)のには、やはり意味があったのだと思う。「素人による作画検証プロセスの公開が新しかった」。これだ!(多分、つづく)

(つづき。幻視球:自分にとって重要なことは

2006年1月19日 木曜日

「Googleローカル」で、アニメスタジオを探してみる はてなブックマーク

[分野: web|アニメスタジオ] 文:bono (投稿日:2006-01-19)

060119.jpg

1.Googleローカルを開く。
2.「お店やサービスを検索」をクリック。
3.「キーワード」に“アニメ”、場所に“練馬”と入れて「検索」。(“三鷹”や“杉並”でも可。)

(他に、何か面白い組み合わせを見つけたら、教えてください。)

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