2006年1月25日 水曜日

自分にとって重要なことは はてなブックマーク はてなブックマーク登録数

[分野: 未分類] 文:bono (投稿日:2006-01-25)

大事なことを書き忘れていた(笑)。ここからは、少し話がややこしくなります。

前の記事(「自分にとって何が新しかったのか」)で、「作画が分からないこと」を自分の問題として語り、「劣等感」の存在を述べました。でも、だからといって、僕は別に作画マニアになりたい訳ではないのです。「誰が描いたのか」は、作品を観る上ではさして重要ではない(作画担当者を評価する上では重要だけど)。担当者捜しの答えには、自力でたどり着けなくても構わないと思う。
では、何故「自分の問題」と感じるのか?

作画のファンは、「画面の微細なニュアンス」や「演技のつけ方の差異」に非常に敏感です。敏感だからこそ、「ここはきっと○○さんではないか」と論を展開できる。
では、これを裏返して考えてみよう。すると、作画を見分けられない僕は「画面の微細なニュアンス」や「演技のつけ方の差異」に非常に鈍感だ、ということになる。作画ファンが反応する「ある種の情報」を、確実に見落としているのです。

僕は、演出に対する興味でアニメを観ます。演出主導の作品を観る場合でも(いや、だからこそ?)、作画問題と無縁ではありません。微妙な「演技」や「ニュアンス」の違いが読み取れない状態で、本当にその場面を理解できているのだろうか、と思ってしまうのです。作画に関する解説を読むことで、始めて「そこで何が行われていたのか」を知ることがあります。往々にして、細かい部分を読み取れなくても物語の筋は追えるし、作品を楽しむことも出来る。でも、それでは「観ている」ことにはならないのではないか?と。
つまり、「作画を分かること」が「演出や物語を深く理解すること」に通じるであろう、という想いから、作画が分かりたい。しかし分からない。劣等感。そういうことです。

作画を探求するファンにとって、「作画が分かること」は手段であり目的でもある(多分)。僕にとっては、手段ではあるが、目的ではない。

この記事のURL:http://xn--owt429bnip.net/2006/01/direction.php

コメント (このコメント欄の RSS フィード

コメントはまだありません。

コメントをどうぞ

改行と段落タグは自動で挿入されます。メールアドレスは表示されません。利用可能な HTML タグ: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong>

(必須)

(必須)


WordPress 2.6.1