階層化するアニメファン

最近、「作画」が分からないことに劣等感を覚える。分からないこと自体は、今に始まった訳ではない。ただ、負い目を感じるようになったのは最近。これはどういう感情なのだろうか?と考えてみた。
以前は、作り手を頂点として、プロ(供給側)とファン(受容側)という関係があった。作画のネタばらしをしてくれるのは、常にプロ(<編集者とか、アニメ関係者とか)。プロは情報的に優位にある。ファンが知りえないことまで知っている。プロが「実はね…」とささやくと、ファンは「なるほど!」と学ぶ。知らなくても当然のことを教わるのに、劣等感はない。「相手はプロだから…」という言い訳が利く。
ところが、最近はファンの一部が供給側に回った。目利きが「こうかも!」と言うと、「なるほど!」と思う。この場合、教える側と教わる側では、持ち得る情報に関する条件が同じ。作画を判断する材料は、公平に与えられている。しかし!同じものを観ているのに、読んでいるのに、分かる・分からないの差が発生する。「分からない自分」がはっきりと浮き彫りになり、劣っていると感じる。…そういうことかな?
で、逆に思ったことだけど。これまで「アニメを観る」という趣味は、劣等感とは無縁だったのではないだろうか。非アニメファンとの接触の中で、対外的にはあったかもしれない。そうではなくて、趣味集団の内側において。純粋に、誰もが楽しさだけを得られる趣味。自分より優位にある「濃い人」は常にプロである(から無視できる)、という関係性。
しかし現在は違う。見たところ、僕に限らず、一部の人は劣等感を抱き始めている。これが各々の個人的な問題なのか、それとも「趣味集団」全体の問題なのかが気になる。もしかしたら、「アニメを観る」という趣味は、「趣味」としての新しい段階に差し掛かっているのかも知れない。
(追加。1月21日現在の認識。幻視球:自分にとって何が新しかったのか)
(更につづき。幻視球:自分にとって重要なことは)







コメント (このコメント欄の RSS フィード)
コメントはまだありません。
コメントをどうぞ
改行と段落タグは自動で挿入されます。メールアドレスは表示されません。利用可能な HTML タグ:
<a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong>