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2006年5月25日 木曜日

「オタク is Dead」関連メモ はてなブックマーク 登録数

[分野: オタク時事] 文:bono (投稿日:2006-05-25)

客観的に現象を読み解くための材料のメモ。(何か思いついたら適宜追加)
※「イベントレポート」ではないです(参加していません)。
※「まとめサイト」でもないです(笑)。


第1〜第3に世代を分けたがる風習
世代分けの無意味さ。下記は、25年前の雑誌記事。

(参考)『アニメージュ』81年2月号の記事“「大御所VS第3世代」座談会”

安彦(良和)「第3世代というのは、いつごろから始まった言い方なんでしょうかね。いかにも、最近、自明のことばのように使われているけど」
大塚(康生)「ぼくは今年50歳になるんです、いや来年だ(笑)。これは第1世代といわれてもしょうがないでしょうね。森康二さん、大工原章さんからぼくくらいまで、ひっくるめて第1世代ということになるんでしょうね。(略)。第2世代といえば、テレビ時代の夜明けにこの仕事に入って、いまテレビや映画の作品づくりを背負っている人たち。出崎(統)さん、宮崎(駿)さん、小田部(羊一)さんとか、りん(たろう)さん、もう、みんな40前後に近づいている」
安彦「そうするとぼくは…」
大塚「第3世代ということになるでしょうね。もしそういう分け方をするなら」
友永(和秀)「ぼくははじめて聞いたなあ」
金田(伊功)「なんか、恐ろしい感じ」
安彦「最近、よく聞くんです」
友永「スゴイなあと思って。もしかするとオレたちのことかなあと思って…(笑)」

↑今や全く聞かない(笑)。そして繰り返される「もしかするとオレたちのことかなあ」の歴史。

「第X世代」という単語に接するとき、「分類の定義が正しいか否か」に着目すると話がずれる。重要なのは、「論者が世代を分けたがっている」という事実。それを踏まえて、「どのように分けたがっているのか」という論者の願望に注目すべき。
「この分類によると、僕は第X世代だ!」なんて一喜一憂には意味が無い。「動物占い」並に。


はてなアンテナ被登録数DATA(2006年5月25日現在)
ウェブにおける「影響力の逆転」を示す一材料。

【岡田斗司夫氏本人のサイト】
岡田斗司夫のプチクリ日記を含むアンテナ (313)
OTAKING SPACE PORTを含むアンテナ (182)(公式サイトTOP)

【岡田氏に近いオタク系ライター】
裏モノ日記を含むアンテナ (624) (唐沢俊一氏の日記)
原えりすんの電気オタク商品研究所を含むアンテナ (157)

【岡田氏から遠いオタク系ライター】
たけくまメモを含むアンテナ (1649) (→過去のトラブル)
kajougenron : hiroki azuma blogを含むアンテナ (974)(東浩紀氏の日記)
伊藤剛のトカトントニズムを含むアンテナ (393) (→過去のトラブル)

※近い・遠いは僕の主観です。


イデオロギーの葬式
(参考)内田樹の研究室: 政治を弔うということ

ある政治的運動の歴史的な価値は、祝祭的な場面における動員数や、そこで破壊されたものの規模によってではなく、「非祝祭的後退戦」を黙々と担う「弔い役」の仕事のていねいさによって決まるのである。
(略)
日本軍国主義やロシア・マルクス主義がまったく利用価値のないイデオロギーであるのは、そのイデオロギーそのものの内部的な瑕疵ではないし、そのイデオロギーの名において構築されたり破壊されたりしたものが微々たるものだったからでもない。
そうではなくて、そのイデオロギーが「落ち目」になったとき、身銭を切って「弔い」を出す人間が一人もいなかったから、それらのイデオロギーは政治的価値を失ったのである。

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  1. 度々おじゃまします。

    桀紂屋さんでもこの話題に触れていますが、ジャンルクロスオーバーな「オタク」というライフスタイルが、既に有効なものではないというのが、共通認識になりつつあるんでしょうか。

    岡田氏自身にも、「オタクは飽きた」発言ってありましたけど。

    いずれまとまった記事になるのを、楽しみにしております。

    ところで、私は先日、氷川竜介先生の公開講座に参加してきました。ごく簡単にまとめてみたので、よろしければお立ち寄りください。
    http://www.green.dti.ne.jp/microkosmos/diary/diary.html

    コメント by KOS — 2006年5月28日 日曜日 @ 23:46

  2.  メモに留めた理由は、僕が直接イベントに参加していないからです。いちいち“岡田氏の発言とされているもの”を取り上げて、ああだこうだと言っても仕方がない。それでは、無責任なワイドショーと大差ないと思うのです。
     その一方で、ヒステリックな状況に水を差したいという気持ちは強烈にありました。なので、“岡田氏の発言とされているもの”を引用せずに、水を差す(多面的に見る)ための材料だけ用意する、という形を取りました。あとは、読んだ方が考えてくださいと。
     後日、イベントの内容をまとめた同人誌が出版されるそうですね。感想を書くとしたら、その時にします。

    >ジャンルクロスオーバーな「オタク」というライフスタイルが、既に有効なものではない

     僕もそう思います。この点に関しては、前々から考えていたことがありますので、近日中に書いてみたいと思います。

     KOSさんの更新履歴のページは、はてなアンテナに登録して、時々読ませて頂いております。三越のこれは、東京に住んでいたら、僕も絶対に受講していました。贅沢すぎます(笑)。

    コメント by bono — 2006年5月30日 火曜日 @ 1:09

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  • いつのころから新発売3
    死語の世界 #6「オタク論」... たまたま、bonoさんのブログ記事幻視球 : 「オタク is Dead」関連メモを読んで、つぎのことを思い出しました。それは、岡田斗司夫氏が昨秋、提唱した「オタク is Dead」という言葉に反応して、年末、ブログ記事を3本書いていたことです*1。bonoさんのブログ記事からリンクを辿ると"オタク"が終わったあとにと題する伊藤剛氏の文章に行き当たります。これを読むと「オタクの終焉」は昨年に唐突にいわれ始めたことではないことが分かります。もちろん、岡田氏のいう「オタク is Dead」と伊藤氏の「"オタク"が終わったあとに」は180°逆方向を向いていますが。 一連の議論は、『新世紀エヴァンゲリオン』に対する《オタク第一世代》(岡田氏)の違和感を端緒にしていました。その違和感とは次のようなものだったのではないでしょうか。
    知識人が「道徳性への不信」を表明している間に、世界的に、文字通りさまざまな「宗教」が隆盛し始めた。われわれはそれを嗤うことはできない。 トランスクリティーク ― カントとマルクス - はてなダイアリー
    『新世紀エヴァンゲリオン』はたしかに「宗教」として機能していた部分は否めないと思います。 ところで、「オタク論の現在」はどうなっているのでしょうか。僕は、TVアニメ『ハルヒ』のヒットによって雲散霧消したように感じています。 *1:いつのころから新発売: 啓蒙主義者 岡田斗司夫いつのころから新発売: シャーマンオタキングいつのころから新発売: アンチ・ロマン主義者 オタキング
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