「メカと美少女」を再考してみる

オタク向けアニメに良く見られる、「メカと美少女」。なんとなく気恥ずかしく、目を背けたくなる要素だけど、そう邪険に扱わなくても良い(かも知れない)、という話題。
かつて映画の父、D・W・グリフィス監督は言いました。「映画とは女と銃である」と。映画の成立条件をそう示し、映画を定義したわけです。
たいていの娯楽映画は、2つの基本要素「女と銃」の読み替えによって説明できる。「セックスとバイオレンス」だとか「恋と確執」だとか、いろいろなバリエーションがある。そう考えたとき、オタクの好む「メカと美少女」も、さして特殊な要素ではないことが分かります。映画の定義に忠実な一バリエーションに過ぎない。
さて、それを受け入れた場合、新たな問題がもちあがります。
1)「銃に相当するもの」=「メカ」
2)「女に相当するもの」=「美少女」(「女の子」)
2)の示す、オタクの業の深さ(笑)。もはや、「なんとなく気恥ずかしい」なんて曖昧さは皆無です。これに向き合うのは、いささか勇気が要る?
(余談。本能に従った結果、映画の本質的な要素を(そうと知らずに)「メカと美少女」と慣用句化し、「作品のセールスポイント」に組み込んでしまったオタク向けアニメの歴史、というのもなんだか面白いですね。)







アニメではないですが、週間アスキーの表紙もメカ(カメラ)と美少女を守り続けてますね。
コメント by たけしと — 2006年5月10日 水曜日 @ 15:35
初めまして、KOSと申します。
いつも楽しく読ませていただいております。
今日の話題は、「ホルス」で美少女、「空飛ぶゆうれい船」でメカ、と東映動画時代までさかのぼれそうですね。むしろ意識的に取り入れ始めたのはいつか、というのがポイントの一つではないかと思います。
コメント by KOS — 2006年5月11日 木曜日 @ 22:51
>たけしとさん
『週刊アスキー』の場合、PCマニアだけでなく一般に売るために女性を表紙に持ってきたという経緯なので、意味としては「逆」のようです。(それで、「うわぁ表紙が美少女だよ、オタ臭い!」と引かれずに、きちんと成立しているのは興味深いですね)
いわゆる「旧・週刊アスキー」の頃(パソコン専門誌ではなく、『週刊朝日』や『週刊新潮』のような一般週刊誌だった頃)は、ちょっと堅めの表紙。前身の『EYE-COM』の頃は、完全にメカ主体でした。なので、意識的に女性を取り込んだ訳ですが、一言に「メカと美少女」と言っても、引かれる場合と引かれない場合がある(?)ことが分かります。
http://www.microsoft.com/japan/mac/iusers/mm/contents/mm2.asp
>KOSさん
はじめまして。書き込みありがとうございます。
仰るように、作り手が意識したのはいつか、と考えた方が間違いがなさそうですね。
受け手の主観に頼ると、「私は『白蛇伝』の白娘に萌えました」とか「いやいや、私は『くもとちゅうりっぷ』のてんとう虫が…」みたいな思い入れ合戦になってしまうと思います(笑)。「メカ」の方も、確か戦時中の日本アニメに、戦闘機の空中給油の場面なんかがあったりしたので、当時メカマニアはドキドキしていたかも知れません。それらと同様に、東映動画のある種マニアックな部分も、「メカと美少女」前史にあたる部分かと思います。
で、話を戻しますが。現在流通しているような、恥ずかしさを伴う「メカと美少女」アニメの始まりは、もしかしたら『DAICON3』かもしれません。
コメント by bono — 2006年5月12日 金曜日 @ 1:49
どうも、八作です。
「アニメファン」が、「作り手」に回ったところから始まっている、ということなんかなあ、とか思いました。
それまでは、既成の作品のなかからいわば抽出するようにしてその2要素を楽しんでいたのが、
いざ自分が作る側になったとき、その、自分が好きな2要素に特化した作品を作り始めたというか。
コメント by brikix八作 — 2006年5月12日 金曜日 @ 22:30
>八作さん
>「アニメファン」が、「作り手」に回ったところから始まっている
そうですね。そういう意味でも、アマチュアアニメから始まっている(と思われる)のは象徴的なことだと感じます。
コメント by bono — 2006年5月14日 日曜日 @ 3:29