2006年6月23日 金曜日

『涼宮ハルヒの憂鬱』#12、違和感の演出 はてなブックマーク

[分野: 演出|山本寛] 文:bono (投稿日:2006-06-23)

 今回は一部、首をかしげる展開がありました。ヒロインが「らしくない行動」を起こし、それに呑まれて主人公も普段のスタンスを逸脱した。これらは作品の雰囲気を崩しかねないくらいイレギュラーな出来事であった訳だけど、本当に外してしまったのだろうか?(結論から言うと、違う)

 #12には、カメラがイマジナリーラインを越える場面が2ヶ所ありました。(下図(1)、(2))
060622_1.jpg 060622_2.jpg

 図(1)は、(画面の奥の方で)ハルヒがライブの代役を買って出る場面。図(2)は、物思いに耽るのを止めて、自己中心的な振る舞いを始める場面。これらは、違和感の元となる「ハルヒらしくない行動」のちょうど始点と終点にあたる。その2点で、敢えて文法から外れたカメラワークが用いられた(※)。他の場面とは明らかに区別して見せている訳だけど、その理由は何か?といえば、この出来事の位置づけを明確にするためだと思う。

 文化祭の熱狂の中で、劇中の人物たちは誰も、自分自身のおかしさに突っ込みきれていない。が、映像は、カットの繋ぎによって「これはイレギュラーな出来事ですよ」と断っている。物語に干渉しない観察者として、「ありえない出来事」を「ありえない出来事」のままに見せている。違和感を覚えるべき場面を、違和感を覚えるように描いている。演出的に正しい。

 誰もが我を忘れてしまっている状況。文化祭の魔力に呑まれて、浮かれて、柄にも無いことをしてしまって、でも最後には普段の姿に戻る。結局は元のレールに戻ってくるのだけど、だからと言って何も起こらなかった訳ではない。そんな揮発してしまう一瞬の揺れを、上手く描いていたと思う。

 (※山本寛氏が、日常的にイマジナリーラインを守る演出家であるかどうかはさておき、今回は「守り」且つ「破る」ことで、上手く活用した。)

(追記)<この話題に言及したサイト>
小野マトペの業務日誌(アニメ制作してない篇):宮崎吾朗の想像線。

この記事のURL:http://xn--owt429bnip.net/2006/06/haruhi12.php

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