オープンソースの陰画、ネットと鑑賞

『涼宮ハルヒの憂鬱』というアニメが人気で、毎回の放送直後に、ファンが猛烈な勢いで感想をネットに上げている。元ネタの指摘から、解釈の仕方に至るまで、あらゆる角度から一斉に消費される様が、まるでピラニアの餌食のよう。あっという間に食い尽くされていく。
そんな状況に対して、何だか釈然としない気持ちがあった。でも、よくよく考えれば、これも「オープンソース現象」の一つか。
ネットを通じて、ボランティアで有益なソフトの開発が進むなんて、僕の価値観からすると全く理解できない(<ケチで利己的なので)。でも、それに近いことが行われた結果、『涼宮ハルヒの憂鬱』というアニメは、無償の参加者によって解釈を阻害する「問題」が次々と解決されると共に、得意分野の知識を提供しあって、鑑賞に役立つTipsが積み重ねられていく。
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「オープンソース」とは「知的資産の種がネット上に無償公開されると、世界中の知的リソースが自発的に結びつき」しかも「集権的リーダーシップが中央になくとも、解決すべき課題に関する情報が共有されるだけで、その課題が次々と解決される」という原理原則に基づき、複雑な構築物でも開発できるという発見を意味していた。(梅田望夫『ウェブ進化論』より)
『新世紀エヴァンゲリオン』ブームの時は、数ヶ月かけてじわじわと「解釈」や「ヒント」や「答え」が出た。中でも、特に有益な情報の提供は、プロのライターと出版メディアの商業活動として行われた。つまり、お金を生む行為なんだけど。
方や『涼宮ハルヒの憂鬱』は、「複雑な構築物の解体」を目的とする開発的行動が無償で行われ、翌週には細部まで検証され尽くす勢い。
ネット時代の「オープンソース現象」は、巨視的に見れば「益」に分類されるはず。だけど、こと作品の鑑賞という分野においてそれが行われるのは、何か割り切れない(笑)。最早、避けられない事態であることは理解できるけど。創作物を、そんな猛スピードで消費して良いのだろうか。勿論、違和感はこの作品に限らない。
(※後日、本文で用いた「オープンソース」が、本来の意味とはズレているとの指摘を受けました。詳しくは、コメント欄を参照下さい)
(追記)<この話題に言及したサイト>
・credo ut intelligam:続「神作画」とは何か?:追記の追記








記事自体の主張やニュアンスは同意なのですが。
「オープンソース的」という表現が、本来のオープンソースとずれていて誤解をよぶかなぁと思いました。
ケチで利己的な思考がオープンソースの重要な要素ですし。(共産・利他的だと誤解されてしまいがち)
「金」を「評判・関心」に置き換えたものだと。
まぁ梅田望夫さんの用法における「オープンソース的」というのは「伽藍とバザール」の集合知の部分だけを指しているので、このエントリーの用法としてはまっとうではあるのですが。
(つまり梅田氏の表現がそもそも偏っている。それの孫引きで「集合知」の意味で「オープンソース的」という表現をつかっちゃって誤解を呼んでいると)
コメント by otsune — 2006年7月28日 金曜日 @ 5:29
ご指摘ありがとうございます。そもそも「本来のオープンソース」を知らないので、ずれているという自覚も当然ありませんでした。
間違った定義でもってネガティブな言い方に用いるのは、確かにまずいですよね。仰るように誤解も生みますし…。
頂いた意見を参考に、後で、本文の方に少し書き足しておきます。
コメント by bono — 2006年7月30日 日曜日 @ 1:06