2008年6月5日 木曜日

第1期・東小金井村塾の記録 はてなブックマーク

[分野: アニメスタジオ|ジブリ] 文:bono (投稿日:2008-06-05)

 桀紂屋(ketchu):BONES新作『亡念のザムド』は宮崎アニメになるか?

 面白い角度から切り込んだ『亡念のザムド』の紹介。推測部分に関しては、当時の雑誌記事が参考になる。

鈴木敏夫「それで近藤(喜文)さんに続く新人演出家を育てようと、ジブリは1995年春、アニメーション演出塾「東小金井村塾」を開講したんです。ジブリの中で毎週土曜日の午後4時から10時までぶっ続けで講義です。(略)。320名ぐらいの応募があって、16人選抜しました。」
森卓也「まったくの外部ですか。」
鈴木「そうです。内部からも応募があるかと思ったんですけど、誰もなかったですね。ま、やりにくいという面もありますよね(笑)。」
キネマ旬報臨時増刊『宮崎駿、高畑勲とスタジオジブリのアニメーションたち』より)

(略)「アニメーション映画の21世紀を目指して、若き演出志望者よ来たれ!!」との呼びかけに320人が応募、(略)。映画作品をテキストに高畑塾頭の話を聞くわけだが、鈴木敏夫プロデューサーの講義があったり、塾生同士が深夜まで映画について語り合ったり、と若い世代の才能を育てようとするスタジオジブリと、それに応えようとする塾生たちの熱気に、今後大いに注目したい。
『コミック・ボックス』1995年9月号より)

 ジブリの若手育成がいかなる手段によってなされたかは不明だ。しかしながら、その苛烈さを想像するヒントは、身近にある。アニメファンは、フィルムを介して、ジブリの教育思想に触れているからだ。
 例えば『耳をすませば』。「目的意識の欠如した若者たちよ、これくらい頑張れ!」と無邪気に放たれるエールと、それを受け取る若者たちとの間に横たわる、埋めがたい溝。こころ弱き者は、フィルム越しの教育ですら心を破壊されてしまう(※)。ましてや…。

(※冗談です)

2006年7月28日 金曜日

絵コンテ・ストラップ はてなブックマーク

[分野: オタク時事| アニメスタジオ|ジブリ] 文:bono (投稿日:2006-07-28)

060728.jpg コンビニで見かけて、度肝を抜かれました。凄い発想。

 絵コンテ好きとしては放っておけない!…ということもないですが(笑)。「アニメ絵コンテの歴史」には足跡を残す出来事ですね。

2006年7月27日 木曜日

『ゲド戦記』関連インタビューを読んで はてなブックマーク

[分野: オタク時事| アニメスタジオ|ジブリ| 演出|庵野秀明] 文:bono (投稿日:2006-07-27)

060727.jpg 『ゲド戦記』関連のインタビューを追っていくと、それぞれの言い分が半歩ずつずれているように感じられる。

 始めに違和感を覚えたのは、宮崎駿監督を説得した際のやりとり。吾朗氏による『ゲド戦記』のイメージ画、それをたった一枚見せたことで、「監督には不向きである」という反論を封じてしまったエピソード。
(以下、引用内の太字は僕)

スタジオジブリ:特別企画:雑誌『インビテーション』4月号採録 「鈴木プロデューサー ゲド戦記を語る(1)」

そのときもまだ吾朗君の監督に反対していた宮さんに、その画を見せたんです。
そうしたら、彼は黙ってしまいました。つまり、宮崎駿は横位置の構図で、こういう画を描いたことはあるけれども、縦位置で描いたことがなかったんですね。見た目はそっくりだけれども、アングルが違う。これは効果があると僕は思って、吾朗君に描かせたんです。確かに絵を見て彼は唸りましたね。

 鈴木プロデューサーが“描かせた”絵で、吾朗監督の器を伝えるというのは、少し妙です。

 以下、気になった点をいくつか。

(続きを読む)

2006年2月25日 土曜日

『ゲド戦記』の報道に接する上で はてなブックマーク

[分野: アニメスタジオ| アニメスタジオ|ジブリ] 文:bono (投稿日:2006-02-25)

過去、鈴木敏夫プロデューサーは、『イノセンス』をデートムービーであるかのように宣伝しました。押井守監督の作風を知る人は「おいおい」と思ったが、知らない人は真に受けたかもしれない。
重要なのは、今現在、宮崎吾郎監督の作風を知る人はいないということ。今回は、万人が「真に受ける」かもしれませんね。

もう一つ、以下に高畑勲監督の宮崎駿評を引用しました。(太字による強調は僕)

映画を作りながら考えたこと〈2〉1991‐1999 映画を作りながら考えたこと〈2〉1991‐1999
高畑 勲
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宮崎駿は極端な照れ屋である。彼は本来子供のように無邪気で純真でわがままで直情的であり、したがって欲望は顔に現れる。しかし、克己や禁欲の意志と羞恥心が人一倍強かったため、それを隠したがり、その表言はしばしば屈折し逆転した。彼が何かを口をきわめて罵っているからといって、それに彼が絶対反対していると速断してはならない。罵ることは、それに引き寄せられる自分の気持ちや欲望を懸命に抑えるために必要な、いわば過剰な攻撃行動かもしれないのだ。その場合、十分な口実が約束されれば自他を許し、やむをえず受け入れる形でその欲望を開放する。(高畑勲『映画を作りながら考えたことII』より)

多少は見え方が変わってきたでしょうか?

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